被告人Aの最終弁論

1)起訴されて公判を進められている現在の心境
•逮捕当日の実名報道
•必要性の全くない家宅捜索
2)私がクツを投げたわけ
3)安倍政権の異常性、攻撃性を表す異常な弾圧
•84日間に及ぶ長期拘束
4)前代未聞の暴力的公判
5)今回の起訴に対しての総括的主張
6)検察側の論告求刑に対する反論とまとめ3)安倍政権の異常性、攻撃性を表す異常な弾圧
•「検察の独立」どころか安倍内閣・自民党のスポークスマンであるかのような論告
•あまりに偏った政権寄りの主張

 

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1)起訴されて公判を進められている現在の心境

私が「威力業務妨害罪」に問われて起訴され、現在公判を進められていることは、一言で言えば検察側によるとんでもない権力濫用であると考えます。第3回公判で日体大の清水雅彦教授が指摘されたように、私がクツを投げたことにはそれだけの理由があり、国会が大混乱したそもそもの原因と責任は安倍政権と与党にあるのです。

今回、東京地検はそういった状況を全く考慮せず、ただ単に「国会にクツを投げこんだ」という事実だけに着目して私を起訴しました。これは、「安倍政権に逆らう者は理屈抜きに許さない」という政府と自民党の意向をそのまま反映したものであり、「検察の独立」など全くないと自ら言っているようなものです。そもそも、当時の証拠VTRを見れば明らかなように、私の投げたクツによって参議院本会議の審議は全く影響を受けておらず、審議も中断されていません。つまり、威力業務妨害は成立しないのです。それにも関わらず検察が私を起訴したのは全く非論理的、反知性主義的であり、わが国の法治国家として位置づけを自ら否定する暴挙と言っても過言ではありません。きわめて感情的な対応であり法治国家として最も大事な法的正当性が皆無です。

それについて東京地検は全く説明をしていません。検察は論告求刑においても秘密保護法が違憲か合憲かの判断をせず、私の行為のみを判断の根拠としました。今検察や裁判所がなすべきことは私の行為が罪に当たるか否かを検証することではありません。特定秘密保護法が日本国憲法に抵触するか否かを検討し、抵触する場合には安倍晋三首相および与党幹部の責任を厳しく追及することです。それができないならばもはや法治国家とは言えず、検察および裁判所の存在意義が問われるということなのです。

また、起訴以前にも権力側は重大な人権侵害を重ねてきました。

警視庁は逮捕直後に私の実名、詳しい住所までをマスコミに流し、それを受けた一部のマスコミはそのまま実名報道しました。私はまるで重大かつ凶悪な犯罪人のように扱われました。それによって、私や家族、親族は筆舌に尽くしがたい辛い想いをさせられました。事件の背景などもわからない段階でのこうした実名報道はあってはならないことだと考えます。司法機関ではないマスコミが一方的に「有罪」だと断じているのと同じです。

そもそも逮捕されただけの段階で、裁判も全く始まっておらず無罪推定がされている時点で実名報道されてしまうのは先進国では日本だけです。日本は容疑者の人権を保護する意識が全くない、人権に関して非常に立ち遅れた後進国であることをよく表しています。これは絶対に変えなければいけないことだと思います。

また、私の自宅は家宅捜索を受けました。この信じられない過剰で異常な警視庁の対応は、私には全く意味がわかりません。私はあまりにも酷い特定秘密保護法と、それをとんでもない強硬な手法で成立させようとする安倍政権と与党に抗議するためにクツを投げただけです。

純粋な抗議行動であり、表現の自由に含まれる「象徴的表現」なのです。私は反社会的組織に属しているわけでもなく、私の思想的背景を調べようとする家宅捜索など全く必要ないものです。常識的に考えればわかることであり、「安倍政権に逆らう者は許さない」という発想から生まれた単なる見せしめに過ぎません。

本来、警視庁が家宅捜索すべきなのは憲法違反の法律を起草した内閣情報調査室であり、内閣府と首相官邸の方です。私の逮捕、起訴、実名報道、家宅捜索について言うならば、「私と安倍政権のどちらが正しくてどちらが間違っているのか」という根本的なところがあべこべになっています。国の最高法規である日本国憲法を守るつもりがなく、それどころか憲法を否定、破壊して骨抜きにする法律を、民意を無視して成立させた安倍政権と、ただそれに市民の一人として、日本中の人々の怒りや異議を代弁して抗議した私はどちらが悪いのでしょうか?それは言うまでもないことです。

異常極まりない暴走を続けている安倍政権に対して、本来検察やマスコミはストップをかける責任があるはずです。東京地裁も、今回の公訴権の濫用による私への起訴を棄却しなければいけません。

しかし、検察もマスコミも東京地裁も、暴走する安倍政権と同調する行動を取り、無罪の一般市民への弾圧をし続けて平気な顔をしています。現在はまさに、日本の国自体が異常事態、非常事態であると言わざるを得ません。

 

2)私がクツを投げたわけ

次に、そもそも私が国会でクツを投げて抗議した理由について述べます。安倍政権が数の力で強引かつ暴力的に成立させた特定秘密保護法は、明らかに憲法違反の箇所が数多く存在する大悪法です。そのことは、第3回公判で証言してくださった清水雅彦先生、田島泰彦先生の証言からも明らかです。この法律は日本国憲法の三大原則を破壊、否定するものです。「国民主権」、民主主義の大前提となる知る権利、マスコミの取材・報道の自由を大きく侵害し、それによって当然に「基本的人権の尊重」が守られなくなります。そして、軍事・防衛秘密を大きく拡大し、「平和主義」をも侵害します。まさに「戦争は秘密から始まる」のであり、安倍首相は日本をそちらに向かわせたいのです。

秘密保護法が施行されれば正当なデモや集会も規制、弾圧されるおそれがあり、民主主義社会の生命線とも言える「表現・言論の自由」が失われる可能性も高いのです。

また、政府の「法律顧問」である内閣法制局は、この法律は立法事実、つまり法律の必要性が弱いと2011年の時点で指摘しています。

これは法律の条文を作った内閣情報調査室が条文素案を出した段階でのことです。現行法で国家秘密の保護や違反への処罰は十分であるにも関わらず、必要性が弱い特定秘密保護法を強引に制定した政府と与党の責任はきわめて重く、市民国民に対して説明する責任は今も残ったままです。

それから、昨年12月4日に参議院の与党議員に陳情に行った際、アポを取っていた与党議員は10人全員が面会に応じませんでした。その中で、廊下で偶然見かけて声をかけた自民党の牧野たかお外務大臣政務官は、「私は今回の法案に警察と公安を含める必要はなかったと思う」と明言しました。つまり、「安全保障のため」という大義でこの法律を作ったのにも関わらず、どさくさに紛れて警察と公安をねじ込み、治安維持法のような国内の治安立法の側面を持たせたのです。この法案の担当者であると自ら言う議員がこのように述べたように、必要性も薄い法律を、「とにかく通してしまえ。通してしまえばこっちのもの。」というきわめて恣意的かつ悪意に満ちた安倍政権の判断によってこの法律は成立させられてしまいました。
このような、日本の基本的な国の形を変えてしまう、民主主義と日本国憲法を無力化、空文化してしまうような大悪法を私は絶対に許すことができませんでした。戦後の平和な日本、民主主義の日本を否定、破壊しようとする安倍政権の暴挙を断じて許せないと思った私は、一週間仕事を休んで国会前の抗議行動に参加しました。そこには、福島や京都、宮崎など全国から同じ志で集まった、多くの仲間との出会いがありました。彼らは私と同じく本気で日本の将来を憂い、この法案の強硬な採決・成立を許さないという強い意思をもっていました。

この法案が最終的に参議院で強行採決されてしまった昨年の12月6日には、日比谷公園で1万5千人もの大群衆による抗議集会が開かれ、その人々の多くはそのまま国会前にデモ行進してきました。その圧倒的な人数と迫力、熱気はものすごいものであり、非常に胸を打つ感動的な光景でした。私はこの状況ならいくら安倍政権、安倍首相でも強行採決はできないだろうと思いました。実際私と一緒にいた仲間も、「この状況なら公明党も来年の通常国会で法案を出し直しましょう、と言うはずだ」と言いました。しかし、主権者であるはずの市民、国民の想いを汲み取る能力も、それを理解する姿勢も全くない安倍首相は、「数の暴力」と言ってもよい横暴さ、傍若無人さをもって参議院で強行採決させました。

そして、参議院本会議内の有り様は第4回公判で私や日向証人が述べた通り、すさまじく酷いものでした。自民党の議員は物理的な暴力こそ振るいませんでしたが、まるで津波、衝撃波のようなヤジと怒号で発言する野党議員を威嚇、挑発し、一部の者は拳で机をバンバン叩き、自分の名札で机をガンガン叩きました。時にはマイクを通しても野党議員の発言が私に聞こえず、まさに無法地帯、無秩序地帯となっていました。いやしくも「国権の最高機関」と規定されている国会で、政権をもつ与党議員がヤクザ、暴力団以下の振舞いをしておいて何の羞恥心も感じない。その中で「日本を壊すような法案」を強行採決する。私は腹の底から怒りがこみあげてきて、「どうしても抗議の意思を示したい、日本中の市民の怒りを安倍政権と与党議員に伝えたい」との想いが強まりました。

国会の外の状況と国会内の事の運ばれ方があまりに乖離しすぎていて、それは安倍政権と一般市民、国民との意識の大きな乖離を表すものでした。私は、「この状況で無条件降伏はありえない」との想いから、強い強い抗議の意思を表すために議場にクツを投げました。

この行為は第3回公判で日体大の清水雅彦先生が証言してくださった通り、表現の自由にふくまれる「象徴的表現」であって、威力業務妨害に当たるものでは全くないものなのです。アメリカでジョンソン氏が星条旗を燃やして共和党政権に抗議をしました。しかし、最終的にジョンソン氏は無罪になりました。星条旗を焼くという行為が、抗議の意思を示す「象徴的表現」であり、表現の自由の範疇に入るものであると州の最高裁や連邦最高裁に認められたからです。

私の行為もジョンソン氏の件と全く同様に「象徴的表現」として保護されるべきもの、保護されなければならないものです。私はクツ投げ行為自体が抗議の意思表示になることを知っていましたし、その意思を表すためにその行為をし、私の行為を見た人にも私の抗議の意思は明確に伝わったはずだからです。清水先生が証言されたとおり、私は参議院の傍聴規則に照らして注意され、構外退去にされれば十分だったのです。

ところが、主権者である市民との対話、コミュニケーション能力やそれをしようという姿勢に全く欠け、市民国民よりも自分たちが偉いのであり支配者であるのだという、驕りに驕った安倍政権は私を躊躇なく犯罪人と定め、厳罰に処しました。まさに、「安倍政権に逆らう者は理屈抜きに許さない」という姿勢で、見せしめのために処罰したのです。私の、安倍政権に対する抗議の意思がはっきり伝わったからこそ、検察は極めて感情的に過剰な厳罰に処したのです。しかし、憲法学者として検察官よりもはるかに憲法に対する理解や知識が深い清水雅彦教授の証言で明らかなように、「私のクツ投げ行為には誰の目にも明らかな抗議の意思が表現されている」からこそ、私の行為は象徴的表現行為であり威力業務妨害は適用できず、私は無罪なのです。

そもそも安倍首相と自民党は、特定秘密保護法によって日本を法治国家から「独裁、監視、秘密国家」に変えたいのに違いありません。もしくはこの法律によって政権に都合のよい、「大悪法によって市民を萎縮させ、監視・管理する見せかけの法治国家」にしたいのです。その後、東京地検と東京地裁は私を約3ヶ月間もの間拘束するという、常軌を逸した感情的対応をしたのです。

 

3)安倍政権の異常性、攻撃性を表す長期拘束

私は12月7日の未明に逮捕され、その月の27日に威力業務妨害罪で起訴されました。麹町署の留置場に勾留されている時、接見にきてくれたある弁護士が言いました。「こんなことで起訴されたら日本は終わりだ」と。そうです、憲法違反の大悪法が強行採決され、純粋な想いでそれに抗議した市民が起訴されるなんて、「この国も末期、救いようのない状態だ」ということなのです。

そして、私は2014年の正月を麹町署の檻の中で迎え、1月22日に

東京拘置所に移送されました。起訴した後も私を拘束した根拠は、「証拠隠滅のおそれ」と「逃亡のおそれ」があるということでした。どちらも全く説得力がありません。証拠隠滅といっても、今回の事件で証拠は投げたクツくらいしかありません。そのクツは検察に保管されており、どうやって証拠隠滅するのでしょうか。検察側の主張では、私が私を取り押さえた参議院の衛視の所に行き、私に有利なように証言するよう脅迫するおそれがあると言い、それをもって「証拠隠滅のおそれ」があるとしました。これは全く噴飯ものであり、こじつけであって論理的に破綻しています。また、クツを投げた程度で逃亡するなら、最初からクツなど投げません。

つまり、最初から「見せしめのための長期拘束」ありきであり、法的根拠や正当性などまるでないのです。こうして私は84日間の長期にわたり拘束されました。保釈された今、このことを話すと全ての人に驚かれます。「たったそれだけのことで3ヶ月も拘束されたの?」と言って、全ての人に驚かれるのです。この一般市民と暴走する国家権力との意識の乖離こそが、今の日本が抱える大問題だと考えます。

憲法違反の大悪法を強行採決した側は何の罪にも問われず、罪のない私が実質的に禁錮3ヶ月に処せられ、裁判で判決が出る前にすでに処罰されています。この検察と東京地裁による暴挙は決して許されることではありません。3ヶ月間私には何の自由もなく、風呂にすら4〜5日に一度しか入れないという人権侵害状況におかれました。

これはまさに暴走する安倍政権と、それに同調して暴走した東京地検と東京地裁による市民に対する常軌を逸した弾圧に他なりません。

 

4)異常きわまる暴力的公判
そして始まった今回の公判は、目を疑うばかりのひどい事態が続きました。今年4月の第1回公判ではちょっと拍手しただけの人、安東裁判長の安倍政権さながらの強引かつ暴力的訴訟指揮に対して少し抗議しただけの人が容赦なく退廷させられました。続いて6月の第2回公判では、私の救援会の主要メンバーが法廷に入る前に強制排除されました。彼は排除されるだけのことはしておらず、まるで彼だけを狙い撃ちにした、シミュレーションも十分に行ったかのような地裁職員たちの動きでした。その中で最も酷かったのは8月の第3回公判です。

かねてからすべての傍聴希望者が入れる大法廷の使用を求めてきた救援会メンバーは、ただ黙って「大法廷」と書かれた紙を見せて裁判所側に抗議しただけでした。しかし、非常に興奮した地裁職員たちはすぐに「警告」と「排除」をくり返し、何と8人もの傍聴希望者が法廷に入ることなく庁外退去させられたのです。その中でケガ人まで出たにも関わらず東京地裁側は責任を一切認めず、我々の損害賠償請求にも全く取り合いません。まさに、権力をもっている側は何をしても無罪、自由であり、丸腰の市民がそれに抗議すると暴力、実力を伴った排除をされるのです。これでは、昨年12月6日に参議院本会議において特定秘密保護法が強行採決された時のくり返しではありませんか。

権力をもった政権が独裁的になると、世界の多くの国では大規模なデモや暴動、場合によっては革命が起きます。近年では台湾の学生たちによる議会占拠、香港の学生たちによる市街地の占拠、タイでの暴動などがあります。また、中東の「アラブの春」においては、独裁政権に対して軍部がクーデターを起こし、政権を奪うということもありました。私は決して暴力は肯定しませんが、権力をもっている側が度を越えた暴走をした時には、市民が本気で立ち上がってそれを阻止する。そうしたことが起こる国の方がよほど民主主義的であり、市民の意識が進んだ国だと思います。

日本は安倍政権によってこれだけ市民の権利が侵され、非民主主義的な国家破壊行為とも言える大暴走、悪政が続けられているのに、多くのマスコミや市民が「我関せず」という態度を取っていることが私には全く理解できません。「しょうがない」、「仕方がない」と言って憲法を否定、破壊しようとする反動政権を見過ごすことは、その結果日本がどうなるかを真剣に考えていないことの表れではないでしょうか。

さて、本件の第4回、第5回公判においては、少なくとも法廷内では暴力的な傍聴人排除という事態は起こりませんでした。しかし、安東裁判長が頑なにこの429号法廷、非常に警備のしやすい通称警備法廷を使い続けることは全く変わっていません。しかも、傍聴人が法廷に入る前に行われる異常で過剰な所持品検査も今もって続いています。財布の中身まで調べられ、女性の化粧ポーチを開けさせ、場合によっては「ノートを開いて見せろ」と要求する。その法的根拠を尋ねても、すべての職員が「裁判長の指示です。」の一点張り。それでは質問に答えてはいないし、東京地裁の体質は質問に対していつもはぐらかすばかりでまともに答えない安倍首相と同じだということをいみじくも示しています。

 

5)今回の起訴に対しての総括的主張
今回の私に対する起訴は、「起訴できるはずがないものを無理やり起訴したもの」にほかなりません。そのため、多くの無理や矛盾が出てきています。まず、検察側が主張する、「2つ目のクツが金子議員の頭に当たった」という仮説はまったく信憑性がありません。私が被告人質問で述べたように、そんな重大なことが全くマスコミによって報道されなかったこと、インターネットニュースで流れた写真を見ると、他の複数の議員が激高する中、金子氏は真顔で平然と真正面を向いていたこと、これらについて検察はどう説明するのか。

また、さらにこの検察による仮説の疑惑を深める事実があります。

昨年12月25日に、東京地検において私は高宮検事の調べを受けました。その際、高宮検事は1つ目のクツについては、議場内のどこに落ちて、バウンドしてここで止まったと詳しく説明しました。しかし、肝心の2つ目のクツについては、私が質問しても言葉を濁すばかりで全く答えませんでした。答えられなかったのです。あまりにも不自然な彼の態度を見て、「なるほど、今起訴できないものを起訴するためのストーリ―作成中なんだな。」と私は思いました。果たして、今年の2月頃になって、「あのクツは議員の頭に当たっていた。」という主張を検察がし始めたのです。これは、権力側による究極の後出しジャンケンであり、許されざる捏造だと私は考えています。金子氏の頭に当たったのが事実だと言うなら、ぜひ彼を証人として呼んで頂きたいものだと思います。

特定秘密保護法に抗議した私が逮捕・起訴された今回の件はあまりにも異常なことです。今年、アメリカで黒人男性が白人警官に首を絞められて殺されましたが、大陪審は「犯罪行為はなかった」として不起訴にしました。私への起訴は、これと同じくらいの異常なものです。政権をもつ安倍首相側が憲法を否定・破壊する法律を制定しながら無罪、お咎めなしになり、一市民として、一人の主権者として「正義の抗議」をした私だけが逮捕、起訴されたのですから。

検察審査会という制度があり、不起訴になった人を市民の判断で起訴できる場合があります。しかし、今回の検察によるでたらめな起訴を見ると、検察審査会にはもう一つの機能を与えなければいけません。すなわち、不当に起訴された被疑者への起訴が相当か否かを判断し、「起訴不当」と判断した場合には検察の起訴を取り消すという機能です。そこまでしないと、極限まで劣化した東京地検には対応できません。加藤検事は何度も言った、「民主主義」なるものも守れません。

いずれにせよ、今回の裁判と判決は必ず何十年か後に歴史の審判を受けます。安倍政権、安倍晋三と共に厳しい歴史の審判にさらされます。安東裁判長がしっかりとそのことに向き合い、目先の保身や出世ではなく、法の番人としての正しい判決を下されることを信じ、私の最終弁論といたします。

 

6)検察側の論告求刑に対する反論とまとめ

○「検察の独立」どころか安倍内閣・自民党のスポークスマンであるかのような論告

特定秘密保護法が憲法違反の部分を数多く含む稀代の大悪法であること、国連高等弁務官からも「21世紀の民主主義国で最悪の法律」とまで断罪されていることは誰にも動かせない事実であり真実です。そのことを無視し、私の国会での行為のみを問題とする検察の姿勢はまさに政府と自民党の立場を代弁するものであり、彼らのスポークスマンになり下がっているというほかありません。加藤検事の主張は憲法の専門家である清水教授の論理には全く反論できておらず、極めて視野の狭い、そして意図的に視野を狭くしたものです。

○あまりに偏った政権寄りの主張

驚くことに、加藤検事によると昨年12月6日の参議院本会議での特定秘密保護法の採決は「強行採決ですらない」というものです。彼によると、「野党の反対討論をも」実施した上で、採決に対する特段の反対もなくそれが行われたといいます。これは第4回公判において、当日傍聴していた日向氏の証言を根拠としています。しかしその公判調書を読めば、検事の執拗な誘導尋問によって日向氏がそう言わされていることは明白であり、検察は非常に姑息です。たしかに前日の特別委員会での採決時のような大混乱はありませんでしたが、市民の中で大きな議論がある法案を、わずかな審議時間の末採決を強行したのは事実であり、世間の常識や社会通念に照らしてもいわゆる「強行採決」であったことに疑いの余地はありません。
弁護側証人の証言を都合よく解釈することは許されません。

また、検察は「本件犯行は民主主義を実現するために特に重要な国会審議を妨害するものであり、悪質である」としていますが、全く笑止千万な主張です。あのひどすぎるヤジと怒号の国会には民主主義など存在せず、存在したのはただ政府・与党による「数の暴力と究極の奢り」だけでした。

むしろ民主主義を守るために、私が国会に対して一石ならぬ一足を投じたまでのことです。参議院議員は本会議にクツが投げ込まれる不明を恥じるべきであり、間違っても「正義感による抗議」をした市民を罪に問うべきではありません。加藤検事は清水教授が指摘される通り、民主主義に対する理解が全く足りないと言わざるを得ません。

論告求刑に対する反論はここまでとします。結局のところ、私たち市民が民主主義を守るには、選挙で安倍政権・自民党政権を倒すしかありません。今回の衆議院選挙でも、最後まで投票する重要さを1人でも多くの人に訴えていきたいです。
そして、今回の選挙で政権交代が実現しようとしまいと、私たちは安倍政権および特定秘密保護法とずっと闘い続けることを宣言して私の最終弁論といたします。

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